「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(新潮社)増田 俊也 ― 2012年02月11日 17時02分56秒
現在、大ベストセラー中の作品で、Amazonのレビューを読んでも大変に評価の高い一作です。
上下二段組で700ページもありますが、その面白さに一気に読んでしまいます。
この本の素晴らしい点は二つあります。
一つは、筆者が猛烈に木村政彦に思いを入れ込んでいることです。
過剰と言ってもいいでしょう。
でも、その過剰なまでの尊敬が、本の通奏低音を形作っています。
もう一つは、その資料の収集のすごさ、取材の分厚さです。
プロであれば当たり前という言い方もできるかもしれませんが、これはやはり超一流の域に達していると思います。
多くのレビュアーがこの本を誉めているので、ぼくがそれ以上、誉める必要は無いでしょう。
ですが、本書が10年に一つの傑作みたいな評価はちょっとどうかと思います。
年間に100冊本を読めば、10年で1000冊読むことができますが、本書が1000冊の中の頂点にくるとはさすがに言えないと思います。
ちょっと視点を変えて言わせてもらうと、ノンフィクションとはどう書くべきということをこの本は提起していると言えましょう。
たとえば、
「木村はその時、○○と思った・・・」
みたいに視点が木村に乗り移ったり、かと思えば、
「私はできる限り資料を探した。すると・・・」
みたいに自分の視点に話が変わったりします。
視点が移動することは、フィクションの世界では当たり前ですが、ノンフィクションではどうなのかと、ぼくは常々疑問に思っています。
なぜならば、「木村の視点」は「神の視点」ですから、ここに「私の視点」を混ぜると、「木村の視点」が作り話みたいに思えてしまうリスクがあるからです。
その上、木村政彦さんは故人ですから、彼から直接話を聞いた訳ではありません。
資料にあたって、「木村は○○と思った」と筆者が思ったということです。
ノンフィクションでは視点を移すという行為は相当慎重にやるべきというのが、ぼくの私見です。
そしてその資料ですが、どこまで「裏」がとれているかです。
かなり昔の資料に書かれていることが、真実なのかどうかは、検証のしようがありません。
昔の頃の「武勇伝」みたいなものは、読んでいて講談を聞いているような気になります。
筆者は、本当は木村政彦の方が力道山よりも強いということを証明しようとして本書を執筆したのだと思います。
ですが、自分自身で書いておられるように、「広い意味で」木村政彦は力道山に負けたのです。
こういう結論に到達したことにぼくはほとんど驚きませんでした。
だって、誰がどう見ても、力道山の方が強いでしょ? 「欲」みたいなものが。
生存本能というか、戦闘本能というか、生き物としての力が。
それでも木村政彦は柔道なら史上最強とのことですが、ぼくはこういう議論は好きではありません。
アントン・へーシンクを2分で倒せるとか、そういう言い方って、傲慢だと思います。
山下や斉藤を「豚の柔道」って、それは無いんじゃないですか??
ラグビーでも野球でも、史上最強のチームとか選手を論じることが多々ありますが、人間は時代を超えることはできません。
その時代に世界でナンバーワンならばそれで十分だと思います。
面白いし、ベストセラーになって、話題性もあって、この本は何かの賞を取るかもしれませんね。
だけど、ぼくが理想とするノンフィクションとはちょっと離れています。
個人の好みの問題ですが。
上下二段組で700ページもありますが、その面白さに一気に読んでしまいます。
この本の素晴らしい点は二つあります。
一つは、筆者が猛烈に木村政彦に思いを入れ込んでいることです。
過剰と言ってもいいでしょう。
でも、その過剰なまでの尊敬が、本の通奏低音を形作っています。
もう一つは、その資料の収集のすごさ、取材の分厚さです。
プロであれば当たり前という言い方もできるかもしれませんが、これはやはり超一流の域に達していると思います。
多くのレビュアーがこの本を誉めているので、ぼくがそれ以上、誉める必要は無いでしょう。
ですが、本書が10年に一つの傑作みたいな評価はちょっとどうかと思います。
年間に100冊本を読めば、10年で1000冊読むことができますが、本書が1000冊の中の頂点にくるとはさすがに言えないと思います。
ちょっと視点を変えて言わせてもらうと、ノンフィクションとはどう書くべきということをこの本は提起していると言えましょう。
たとえば、
「木村はその時、○○と思った・・・」
みたいに視点が木村に乗り移ったり、かと思えば、
「私はできる限り資料を探した。すると・・・」
みたいに自分の視点に話が変わったりします。
視点が移動することは、フィクションの世界では当たり前ですが、ノンフィクションではどうなのかと、ぼくは常々疑問に思っています。
なぜならば、「木村の視点」は「神の視点」ですから、ここに「私の視点」を混ぜると、「木村の視点」が作り話みたいに思えてしまうリスクがあるからです。
その上、木村政彦さんは故人ですから、彼から直接話を聞いた訳ではありません。
資料にあたって、「木村は○○と思った」と筆者が思ったということです。
ノンフィクションでは視点を移すという行為は相当慎重にやるべきというのが、ぼくの私見です。
そしてその資料ですが、どこまで「裏」がとれているかです。
かなり昔の資料に書かれていることが、真実なのかどうかは、検証のしようがありません。
昔の頃の「武勇伝」みたいなものは、読んでいて講談を聞いているような気になります。
筆者は、本当は木村政彦の方が力道山よりも強いということを証明しようとして本書を執筆したのだと思います。
ですが、自分自身で書いておられるように、「広い意味で」木村政彦は力道山に負けたのです。
こういう結論に到達したことにぼくはほとんど驚きませんでした。
だって、誰がどう見ても、力道山の方が強いでしょ? 「欲」みたいなものが。
生存本能というか、戦闘本能というか、生き物としての力が。
それでも木村政彦は柔道なら史上最強とのことですが、ぼくはこういう議論は好きではありません。
アントン・へーシンクを2分で倒せるとか、そういう言い方って、傲慢だと思います。
山下や斉藤を「豚の柔道」って、それは無いんじゃないですか??
ラグビーでも野球でも、史上最強のチームとか選手を論じることが多々ありますが、人間は時代を超えることはできません。
その時代に世界でナンバーワンならばそれで十分だと思います。
面白いし、ベストセラーになって、話題性もあって、この本は何かの賞を取るかもしれませんね。
だけど、ぼくが理想とするノンフィクションとはちょっと離れています。
個人の好みの問題ですが。
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