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信頼を失ったのはメディア2011年09月15日 20時17分29秒

「政治家にオンもオフもない」と輿石氏を批判 共産・志位委員長

これは共産党を自分たちの「敵」と考えているサンケイの記事です。
民主党を批判するものならば、共産党だって何だってOKという訳です。
世の中に職業に貴賎はありませんが、一流と三流は必ず存在します。
政局記事を異様に好み、自民党を応援するためならどんな手段でも躊躇しないジャーナリズムは一流でしょうか。

先日、朝日新聞に投書を出しましたが、その翌日に似たような内容の投書が掲載され、朝日自身も自分たちの報道に問題があるように思っているようで、ぼくの文書はボツになった感じです。
ですので、それをここに掲載しましょう。

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鉢呂前経済産業相が不適切発言で辞任した。「死のまち」という言葉は公式の記者会見の中で出てきた言葉なので、鉢呂氏自身が責任を持たなくてはならない。だが、いわゆる「放射能をつけた」発言は不明確な点が多い。

各社の報道を見ると、鉢呂氏が発言したとされる台詞がことごくばらばらなのはどういう訳だろうか。朝日新聞での記事でも「付けたぞ」と「つけちゃうぞ」が混在している。報道機関は正確な取材と報道をしているのか疑問である。

そもそもこの鉢呂氏の発言は、仕事を終えて深夜に議員宿舎に帰った時のものである。公務とは無関係のこういう時間帯の言葉を報道することに一体どういう意味があるのであろうか。

故・中川昭一氏がG7の財務大臣・中央銀行総裁会議で酩酊したような会見を行った時、テレビに映る彼の姿を見て多くの国民は驚いたが、日本の報道機関は当初これを追求しようとしなかった。

まさか報道機関は批判しやすい人物とそうでない人物によって姿勢を変えているとは考えにくいが、今回のような曖昧で意義が不確かな報道は、結果として国益を損ねかねないと非常に危惧する。
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結局、鉢呂氏の辞任で信頼を失ったのは、「政治」そのものと「報道」である。
朝日はそのことに気付いている節があるが、読売とかは欣喜雀躍である。

日本は「エンガチョ」の文化とここで何回も書きましたが、福島は逆「エンガチョ」になりかねません。
神聖にして冒すべからず、です。
それは福島の人にとってとても不幸なことです。

「今は、原発周囲は死のまちのようになっているが、全国民の力を合わせて福島を再興させよう」となぜ普通の気持ちで言えないのでしょうか?