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「SF魂」 (新潮新書) 小松 左京2011年08月12日 19時32分06秒

SF魂 (新潮新書)小松 左京
小松左京さんの自叙伝です。
まったく面白くありませんでした。

なぜかと言うと、小松さんが悪いのではなく、ぼくの頭に「SF的な発想・センス」がないからでしょう。

小松さんは一桁一万円の時代に電子計算機を買ったと述べていますが、ぼくがどんな大金持ちであったとしても、その時代に計算機を買うことは絶対になかったでしょう。
数学はもちろん、算数も嫌いで苦手。
物理学も化学も嫌いで大の苦手ですから、「宇宙」なんかには全然興味がありません。
一万光年なんて言われても、その距離の概念がまったく理解できないし、宇宙がどれだけ広いとか説明されても実感することは叶わず、ブラックホールなんて完全に意味不明。
映画「スター・ウォーズ」の面白さもよく分からない。

じゃあ、何でこの本を読んだかというと、「星新一」の中に何度も小松さんが出てきてなにやら面白そうだったからです。
小松さんは京大出身のインテリで、典型的な超秀才です。
破天荒な人かと思っていやたら、ものすごい勉強家なんですね。

大学時代は共産党の京大細胞(細胞というのは、共産党の活動組織の最小単位)に入っていたそうで、ペンネームも「左」ということで「左京」にしたようです。
しかしこの時代のインテリ学生は全員「左」だった訳で、その後の人生を見ると小松さんは決して左翼的な人ではありません。
イザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」を持ち上げているところなどは、かなり体制の中にいる人、少なくとも「人権」などに敏感な人では全然ないようですね。

しかし、「宇宙」や「機械」や「ロボット」や「未来」などに興味が無いと言ってもSFという分野を否定しているのではありません。
大江健三郎さんが、いくら「核状況下の文学」を論じても、いわゆる純文学というのは、「核戦争」とか「原発のリスク」などに立ち向かえないのではいでしょうか?
だって、リスクが現実になった時の状況を描くには、「空想」する以外に方法がないでしょう。
それってまさにSFの仕事だし、星新一の「おーい でてこい」はそういう話なのだと思います。

そこまで考えると、黒澤明監督がなぜ「生きものの記録」を作ったのかよく分かります。
黒澤監督は映画をSFにはしなかった。
やはりリアリティーを求めたのでしょう。
その結果、黒澤さんが選んだのは、主人公の「狂気」という表現方法だったのです。

やっぱり黒澤明は偉大だったなと思います。