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我が千葉大医学部ラグビー部その32011年08月07日 20時22分56秒

ラグビー部について語ると、ま、偉そうな口調になってしまうのですが、ぼく自身の「選手としての業績」はたいしたことはありません。
その理由は、ラグビー生活の6年間で、ぼくは病気と怪我に悩まされたからです。

1年生の頃は、当然のことながら、公式試合には出ていません。
菅平高原の夏合宿の際に、練習試合にちょっと出ただけです。
2年生になって、急激にラグビーが面白くなり、体力・実力も備わりました。
しかしこの時に、大量の血尿・タンパク尿。
幼少の頃に溶連菌感染を経験したことが原因でしょう。
中学の時も、1〜2年間、体育の授業は見学でした。
3年生の途中から体調が良くなりましたが、この時点では公式戦のレギュラーがすでに決まっていましたから、ぼくは試合に出ることはなかった。
4年生で「責任学年」になり、全試合に出場しましたが、シーズンの後半で、脛骨の「疲労骨折」を起こし、十分に力を出せなかった。
ちなみに「疲労骨折」とは「シンスプリント」ともいい、X線で骨折線が見えないのですが、骨の表面がとても痛くなるスポーツ障害です。
ちなみに、大学の整形外科の先生に実習の時に「シンスプリント」の相談をしたら、先生はそういう病名自体を知らなくて、びっくりしたものです。

5年生は絶好調で、夏までは走りまくっていました。
秋になり、公式戦を1週後に控えた最後の練習試合。
相手は慈恵医大。強いんですよ。
ぼくはスタンドオフで、ま、チームを引っ張っていた訳です。
前半を終えて我が千葉大がリード。
これまで一度も勝ったことのない相手です。

気合いを入れて後半に臨んだのですが、相手のフランカーに強烈なタックルをくらい、しゃがんだ姿勢で上から下へ押し潰されました。
ぼくの左足首が「バキ」「バキ」「バキ」と3回音を立てました。
今でも耳に残っています。
靱帯が切れたんですね。

試合場の東京から千葉へ急いで帰り、「スポーツ整形外科」で有名なある開業医の先生を受診しました。
あとから考えるとこれが良くなかった。
先生は湿布を貼って、シーネで固定しておしまい。
え? 先生、まったく歩けません!
そこで、頼み込んで松葉杖を貸してもらいましたが、きちんとギプスで固定しておけば、ちょっとは違った経過になっていたと思います。
ぼくたちは、外傷の時の応急処置がとても手慣れているので、クリニックに到着した時点ではほとんど腫れが無かったため、先生は外傷を軽く評価したのかもしれません。

その後、ちゃんと歩けるようになるまで半年くらいかかり、現在でもぼくの左足首は、一直線に伸ばせない。つまり正座ができない。
不便は感じませんけど。

6年生になっても引退はせず、最後の最後まで、12月までラグビーを続けました。
ですから、ぼくが公式戦に出たのは2シーズンのみです。
6年生の時のポジションはフルバック。
「攻めの切り札」であり、「守りの最後の砦」であります。
このシーズンは相手のアタックをすべてタックルで止めて、トライは一つも許しませんでした。
ぼくはこう見えても、柔道で講道館・初段の黒帯なんです。
だからタックルはけっこう強い。

だけど、6年生の最後の試合で致命的なミスを犯して、ぼくのラグビー生活は終わります。
その話はまた今度。

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