わが千葉大医学部ラグビー部 その2 ― 2011年07月01日 21時14分21秒
ぼくがラグビー部に入った時に、チームのキャプテンだったのが平井さん。
ポジションはスタンドオフ。
平井さんのキック力は、医学部のレベルを超えていて、自陣ゴール前5メートルからキック1発で、対角線にボールを飛ばし、相手のゴールラインの手前5メートルまで進んだこともありました。
ハイパントを蹴ると、ボールが見えなくなっちゃうという感じでした。
そしてもう一人のスーパースターが、深谷さん。
スクラムハーフでしたが、フォワードのような体格で、ダイビングパスでボールを放ると、ぼくなんかはキャッチできませんでした。
深谷さんは、千葉大医学部に進学して医者になるか、それとも早稲田大学の体育学部に進学してラグビーの日本代表を目指すか、迷ったという人ですから、そのレベルは「超」医学部生でした。
では、この二人がいた頃、千葉大医学部ラグビー部は強かったかというと、そうだとは言い切れません。
なぜならば、この当時のラグビー部はまだ「近代化」されていなかったからです。
残りの13人も、平井さんと深谷さんに依存していた部分があったと思います。
ぼくと、同級生のO君、Y君が4年生になり、平井さんと深谷さんは引退しました。
キャプテンのO君、バックスリーダーのY君は非常に危機感を深めました。
しかし、ピンチはチャンスでもあります。
ぼくたちは、クラブを近代化させることにしました。
まず初めにやったことは「戦術書」の作成です。
ワープロの無い時代でしたから、ぼくが手書きしました。
コピーして、綴じて。
タイトルは「ガイド・フォー・プレーヤーズ」。
つまりこの当時、うちのチームは、どうすれば試合に勝てるか、意志の統一とかがまったく無かったのです。
ラグビーはルールの変遷が激しいのですが、ぼくらの頃のラグビーの原理は「陣取り合戦」にありました。
従って、「ガイド・フォー・プレーヤーズ」では、徹底的にそのことを説きました。
結果として選んだ戦術は、フォワードによるサイド攻撃と、バックスによる激しいタックルです。
言い換えれば、攻めるのはフォワード、守るのはバックス。
当然、バックスの選手から不満が出ましたが、1年間この戦術を通しました。
いえ、それまでは、「戦術を通す」という概念もありませんでした。
原理原則を掲げて、徹底的に陣取り合戦に拘ったのです。
戦術面だけではありません。
一つのポジションに、選手を二人以上配置。
また、逆に、一人の選手に二つ以上のポジションを練習させました。
それまでは、最高学年の先輩は練習に出てこなくても、試合に出場していましたが、こういう習慣もばっさりと断ちました。
(当然、多方面から反発を買いました)
以前のラグビー部には、部員同士の競い合いというものが無かった訳です。
ぼくたちが責任学年になり、チームが近代化された後は、6年間練習しても公式戦に出場できない部員も出てきました。
ま、チームのOBの先生たちは、皆さんが、「我こそがチームを強くした」という自負を持っていると思います。
その気持ちは大変よく分かりますが、関東医歯薬リーグでの戦歴を見れば、ぼくたちの近代化がすべての始まりだったということが、よく分かると思います。
ぼく自身も、クラブの雰囲気を悪くしたという批判を先輩や後輩から多数頂きましたが、今日につながる道筋をつけ、扉を開け放った訳ですから、全然後悔はありません。
いま現在、現役でラグビーをやっている学生たちは、今のスタイルを「当たり前」と認識しているでしょうが、ぼくが1年生の時と、6年生の時では、クラブは完全に様変わりしていたのです。
ポジションはスタンドオフ。
平井さんのキック力は、医学部のレベルを超えていて、自陣ゴール前5メートルからキック1発で、対角線にボールを飛ばし、相手のゴールラインの手前5メートルまで進んだこともありました。
ハイパントを蹴ると、ボールが見えなくなっちゃうという感じでした。
そしてもう一人のスーパースターが、深谷さん。
スクラムハーフでしたが、フォワードのような体格で、ダイビングパスでボールを放ると、ぼくなんかはキャッチできませんでした。
深谷さんは、千葉大医学部に進学して医者になるか、それとも早稲田大学の体育学部に進学してラグビーの日本代表を目指すか、迷ったという人ですから、そのレベルは「超」医学部生でした。
では、この二人がいた頃、千葉大医学部ラグビー部は強かったかというと、そうだとは言い切れません。
なぜならば、この当時のラグビー部はまだ「近代化」されていなかったからです。
残りの13人も、平井さんと深谷さんに依存していた部分があったと思います。
ぼくと、同級生のO君、Y君が4年生になり、平井さんと深谷さんは引退しました。
キャプテンのO君、バックスリーダーのY君は非常に危機感を深めました。
しかし、ピンチはチャンスでもあります。
ぼくたちは、クラブを近代化させることにしました。
まず初めにやったことは「戦術書」の作成です。
ワープロの無い時代でしたから、ぼくが手書きしました。
コピーして、綴じて。
タイトルは「ガイド・フォー・プレーヤーズ」。
つまりこの当時、うちのチームは、どうすれば試合に勝てるか、意志の統一とかがまったく無かったのです。
ラグビーはルールの変遷が激しいのですが、ぼくらの頃のラグビーの原理は「陣取り合戦」にありました。
従って、「ガイド・フォー・プレーヤーズ」では、徹底的にそのことを説きました。
結果として選んだ戦術は、フォワードによるサイド攻撃と、バックスによる激しいタックルです。
言い換えれば、攻めるのはフォワード、守るのはバックス。
当然、バックスの選手から不満が出ましたが、1年間この戦術を通しました。
いえ、それまでは、「戦術を通す」という概念もありませんでした。
原理原則を掲げて、徹底的に陣取り合戦に拘ったのです。
戦術面だけではありません。
一つのポジションに、選手を二人以上配置。
また、逆に、一人の選手に二つ以上のポジションを練習させました。
それまでは、最高学年の先輩は練習に出てこなくても、試合に出場していましたが、こういう習慣もばっさりと断ちました。
(当然、多方面から反発を買いました)
以前のラグビー部には、部員同士の競い合いというものが無かった訳です。
ぼくたちが責任学年になり、チームが近代化された後は、6年間練習しても公式戦に出場できない部員も出てきました。
ま、チームのOBの先生たちは、皆さんが、「我こそがチームを強くした」という自負を持っていると思います。
その気持ちは大変よく分かりますが、関東医歯薬リーグでの戦歴を見れば、ぼくたちの近代化がすべての始まりだったということが、よく分かると思います。
ぼく自身も、クラブの雰囲気を悪くしたという批判を先輩や後輩から多数頂きましたが、今日につながる道筋をつけ、扉を開け放った訳ですから、全然後悔はありません。
いま現在、現役でラグビーをやっている学生たちは、今のスタイルを「当たり前」と認識しているでしょうが、ぼくが1年生の時と、6年生の時では、クラブは完全に様変わりしていたのです。
「FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン 」(朝日新書)広瀬 隆 ― 2011年07月02日 15時21分34秒
村上春樹さんが「日本人は核に対してノーと言い続けるべきだった」と発言した時に、ぼくはこのブログで「そういうあなたは言い続けたのか?」と書きました。
その時にぼくの頭にあったのは、「核にノーと言い続けた」広瀬隆さんの存在でした。
今回の本は、これまで原発の危険性を主張し続けて来た広瀬さんの悪夢が、現実になってしまったことを述べています。
そしてその悪夢が正しく報道されていないことを、これでもかと厳しく批判しています。
広瀬さんの結論は、福島原発事故による放射線汚染は、私たちが知らされているレベルをはるかに超えているので、250キロ(25キロではない)圏内の30歳以下の人たちは、西日本に逃げろというものです。
その結論に対してぼくは、ちょっと賛否を保留しますが、原発問題の根幹に触れる広瀬さんの態度は首尾一貫していて、村上春樹さんとは次元が違っていると思います。
この本は、「朝日新書」から発売されています。
それはそうでしょう。
こういう本が、文藝春秋や新潮社から発刊されることは「絶対に」ありません。
つまり、原発がなぜ、日本に存在するかというと、それは巨大資本企業が、儲かるからです。
資本主義社会・日本の行き着く先が、福島原発事故という「自爆」だった訳です。
菅総理大臣は、退陣が決まってどうも開き直ったようで、「発電・送電分離」や「浜岡原発停止を含むエネルギー政策の見直し」や「再生エネルギー特別措置法」などに触れています。
これはおそらく、わざと虎の尾を踏んでいるのでしょう。
経団連の「偉い」人たちは怒ってます。
自民党や公明党は言うに及ばず、民主党の人たちも必死になって菅さんを辞めさせようとしています。
「再生エネルギー特別措置法」が成立しなければ、辞めないと菅さんは言っている訳ですから、あと1年でも2年でも総理大臣をやればいいじゃないですか?
日本国民が徹底的に「原発問題」に向き合えばいいと思います。
その時にぼくの頭にあったのは、「核にノーと言い続けた」広瀬隆さんの存在でした。
今回の本は、これまで原発の危険性を主張し続けて来た広瀬さんの悪夢が、現実になってしまったことを述べています。
そしてその悪夢が正しく報道されていないことを、これでもかと厳しく批判しています。
広瀬さんの結論は、福島原発事故による放射線汚染は、私たちが知らされているレベルをはるかに超えているので、250キロ(25キロではない)圏内の30歳以下の人たちは、西日本に逃げろというものです。
その結論に対してぼくは、ちょっと賛否を保留しますが、原発問題の根幹に触れる広瀬さんの態度は首尾一貫していて、村上春樹さんとは次元が違っていると思います。
この本は、「朝日新書」から発売されています。
それはそうでしょう。
こういう本が、文藝春秋や新潮社から発刊されることは「絶対に」ありません。
つまり、原発がなぜ、日本に存在するかというと、それは巨大資本企業が、儲かるからです。
資本主義社会・日本の行き着く先が、福島原発事故という「自爆」だった訳です。
菅総理大臣は、退陣が決まってどうも開き直ったようで、「発電・送電分離」や「浜岡原発停止を含むエネルギー政策の見直し」や「再生エネルギー特別措置法」などに触れています。
これはおそらく、わざと虎の尾を踏んでいるのでしょう。
経団連の「偉い」人たちは怒ってます。
自民党や公明党は言うに及ばず、民主党の人たちも必死になって菅さんを辞めさせようとしています。
「再生エネルギー特別措置法」が成立しなければ、辞めないと菅さんは言っている訳ですから、あと1年でも2年でも総理大臣をやればいいじゃないですか?
日本国民が徹底的に「原発問題」に向き合えばいいと思います。
「裁かれた命 死刑囚から届いた手紙」堀川 惠子 (講談社) ― 2011年07月03日 18時09分44秒
昨年、講談社ノンフィクション賞を受賞した堀川惠子さんの、受賞後第1作です。
死刑囚から、彼を断罪した元検事に届いた手紙。
そこには「感謝」の気持ちが綴られていました。
なぜ、その死刑囚はそんな手紙を書いたのか?
そんな素朴な疑問を出発点に、堀川惠子さんの綿密で膨大な取材から、壮大なドラマが幕を開けます。
講談社ノンフィクション賞を受賞した「死刑の基準」も傑作でしたが、本作品はそれ以上かもしれません。
もう一回、受賞してもいいくらいの素晴らしいノンフィクションです。
着眼(企画)・取材・筆力、どれをとっても最高レベルの出来映えです。
こういう本を読むと、ノンフィクションの面白さ、事実の重さが本当によく分かります。
人を裁くことの意味とはなんでしょうか?
ぜひ、一読をお勧めします。
死刑囚から、彼を断罪した元検事に届いた手紙。
そこには「感謝」の気持ちが綴られていました。
なぜ、その死刑囚はそんな手紙を書いたのか?
そんな素朴な疑問を出発点に、堀川惠子さんの綿密で膨大な取材から、壮大なドラマが幕を開けます。
講談社ノンフィクション賞を受賞した「死刑の基準」も傑作でしたが、本作品はそれ以上かもしれません。
もう一回、受賞してもいいくらいの素晴らしいノンフィクションです。
着眼(企画)・取材・筆力、どれをとっても最高レベルの出来映えです。
こういう本を読むと、ノンフィクションの面白さ、事実の重さが本当によく分かります。
人を裁くことの意味とはなんでしょうか?
ぜひ、一読をお勧めします。
「寒灯」西村 賢太 (新潮社) ― 2011年07月04日 19時17分51秒
西村 賢太さんの最新作品集を読みました。
面白くて1時間くらいで読了してしまいました。
内容は、毎回同じ。
ある人はワンパターンと言う(本人がインタビューでそう答えていた記憶も・・・)。
だけど面白い。なぜでしょうか?
それはやはり西村さんの文章がいいからだと思います。
クラシック音楽だってある意味ワンパターンでしょう。
ですが聞いている人が、飽きるということはありません。
それと同じことだと思います。
西村さんの文章が好きな人は、これからもずっと読み続けるのだと思います。
ぼくはこれからも読むな、きっと。
面白くて1時間くらいで読了してしまいました。
内容は、毎回同じ。
ある人はワンパターンと言う(本人がインタビューでそう答えていた記憶も・・・)。
だけど面白い。なぜでしょうか?
それはやはり西村さんの文章がいいからだと思います。
クラシック音楽だってある意味ワンパターンでしょう。
ですが聞いている人が、飽きるということはありません。
それと同じことだと思います。
西村さんの文章が好きな人は、これからもずっと読み続けるのだと思います。
ぼくはこれからも読むな、きっと。
「行かずに死ねるか!―世界9万5000km自転車ひとり旅」 (幻冬舎文庫) 石田 ゆうすけ ― 2011年07月05日 19時29分07秒
これも面白くて一気に読んでしまいました。
だけど、自転車のことがあまり書かれていないのがちょっと不満かな。
もちろん、この本を購入した動機は「自転車で世界中を走った」からです。
たくさん、自転車の話が出てくると期待した訳です。
だけど中身はそうではありませんでした。
自転車の車種すら書かれていない。
オートバイでもヒッチハイクでも同じ本が書けたと思います。
だけど、7年をかけて世界中を回るとは、ぼくみたいな悪い意味での常識人にはとても想像できない。
憧れるやら、呆れるやら、ま、本当に別世界です。
ぼくは基本的に「旅」という行為が好き。
大学に19年いた時の最大の楽しみは、学会で地方に旅行することでした。
開業医になってそれも叶わず、、、でも、早くリタイアして家内と日本中を旅したいな。
さて、最近、自転車の話がぱたりと途絶えて、読書の話ばかり書いていますが、これは先週の週末に患者さんから夏風邪をもらってしまったため。
現在流行中の夏風邪は、「発熱」「頭痛」「腹痛」が主な症状です。
ぼくは、発熱はしていませんが、土曜日からずっと頭が痛い。
なので、4日間、自転車に乗っていません。
明日は休診日なので、家内と一緒に花見川サイクリングロードで出かける予定でしたが、やっぱり家で読書でもしていた方が良さそうですね。
皆さんも、手洗いをしっかりやってくださいね。
何と言っても健康が一番です!
だけど、自転車のことがあまり書かれていないのがちょっと不満かな。
もちろん、この本を購入した動機は「自転車で世界中を走った」からです。
たくさん、自転車の話が出てくると期待した訳です。
だけど中身はそうではありませんでした。
自転車の車種すら書かれていない。
オートバイでもヒッチハイクでも同じ本が書けたと思います。
だけど、7年をかけて世界中を回るとは、ぼくみたいな悪い意味での常識人にはとても想像できない。
憧れるやら、呆れるやら、ま、本当に別世界です。
ぼくは基本的に「旅」という行為が好き。
大学に19年いた時の最大の楽しみは、学会で地方に旅行することでした。
開業医になってそれも叶わず、、、でも、早くリタイアして家内と日本中を旅したいな。
さて、最近、自転車の話がぱたりと途絶えて、読書の話ばかり書いていますが、これは先週の週末に患者さんから夏風邪をもらってしまったため。
現在流行中の夏風邪は、「発熱」「頭痛」「腹痛」が主な症状です。
ぼくは、発熱はしていませんが、土曜日からずっと頭が痛い。
なので、4日間、自転車に乗っていません。
明日は休診日なので、家内と一緒に花見川サイクリングロードで出かける予定でしたが、やっぱり家で読書でもしていた方が良さそうですね。
皆さんも、手洗いをしっかりやってくださいね。
何と言っても健康が一番です!
「原発のウソ」 (扶桑社新書) 小出 裕章 ― 2011年07月06日 17時02分54秒
現在、ベストセラー中の作品です。
薄い本なので、すぐに読んでしまいました。
小出さんも、広瀬さんと同様に原発の危険性を叫び続けてきた人です。
なぜ、小出さんや広瀬さんの叫びは、一般世論のレベルにまで成熟しないのでしょうか?
それは、原発を推進する勢力が、彼らに「左翼」のレッテルを貼ってしまうからでしょうね。
小出さんも広瀬さんも「左翼」勢力とは何の関係もありませんが、原発を推進する人々は、金儲け至上主義の、筋金入りの資本主義者であることは間違いありません。
菅さんの退陣が迫っています。
何せ菅さんは浜岡原発を停めてしまったものですから、政界・財界・マスコミ、すべてが「菅降ろし」に熱狂しています。
もちろん民主党だって、資本主義者の集まりですから、菅さんは民主党の中でも完全に孤立してしまいました。
福島原発の事故はいつになったら収束するのか、それとも半永久的に収束しないのか?
私たち日本人は「喉もと過ぎれば・・・」の民族なのでしょうか?
今朝の朝日新聞の大型記事で、民主党の前原さんが、原発の賛否を国民投票してはならないと意見を述べていました。
こういう人ならば、財界も自民党も、安心して総理をやらせることができます。
前原さんが次期・総理大臣になる可能性はけっこう高い、つまり、日本は「二大」政党制と言うよりも、「二自民党」政党制と言うことでしょう。
これが日本の現実です。
要するに、政権交代と言っても、利権の奪い合いをやっているだけです。
薄い本なので、すぐに読んでしまいました。
小出さんも、広瀬さんと同様に原発の危険性を叫び続けてきた人です。
なぜ、小出さんや広瀬さんの叫びは、一般世論のレベルにまで成熟しないのでしょうか?
それは、原発を推進する勢力が、彼らに「左翼」のレッテルを貼ってしまうからでしょうね。
小出さんも広瀬さんも「左翼」勢力とは何の関係もありませんが、原発を推進する人々は、金儲け至上主義の、筋金入りの資本主義者であることは間違いありません。
菅さんの退陣が迫っています。
何せ菅さんは浜岡原発を停めてしまったものですから、政界・財界・マスコミ、すべてが「菅降ろし」に熱狂しています。
もちろん民主党だって、資本主義者の集まりですから、菅さんは民主党の中でも完全に孤立してしまいました。
福島原発の事故はいつになったら収束するのか、それとも半永久的に収束しないのか?
私たち日本人は「喉もと過ぎれば・・・」の民族なのでしょうか?
今朝の朝日新聞の大型記事で、民主党の前原さんが、原発の賛否を国民投票してはならないと意見を述べていました。
こういう人ならば、財界も自民党も、安心して総理をやらせることができます。
前原さんが次期・総理大臣になる可能性はけっこう高い、つまり、日本は「二大」政党制と言うよりも、「二自民党」政党制と言うことでしょう。
これが日本の現実です。
要するに、政権交代と言っても、利権の奪い合いをやっているだけです。
「朽ちていった命―被曝治療83日間の記録」 (新潮文庫)NHK取材班 ― 2011年07月07日 19時40分50秒
これも薄い本なので、すぐに読了しました。
1999年に起きた「東海村臨界事故」で被曝した職員の闘病を描いたルポです。
この本は、放射線事故がどれほど恐ろしいかを描いた貴重な記録と言えます。
だけど、はっきり書きますが、この本はまったく評価できません。
最もよくない点は、本書のテーマがどこにあるか分からないことです。
本のエピローグには、看護師たちの、生存の見込みの無い患者にどこまで治療を行うかという命と死に関する考えが述べられています。
こういったことは、救急医療を語る時に、これまでさんざん議論され、また、活字になってきたことです。
東海村臨界事故とは、何の関係もありません。
本をこういう締めくくりにしてしまったことだけで、この本は完全に失敗作になっています。
また、途中、医師免許をとって3カ月の研修医のインタビューが出てきます。
このドクターは、今は立派になっているかもしれませんが、3カ月の研修医の視点などは、あまりに軽すぎる(この人が軽いと言っている訳ではない)。
何百人、何千人の生と死を見た医師になぜインタビューしないのか、ぼくには理解できない。
取材班の意図は、なんとなく想像できるけど、3カ月の研修医というのは、その辺の医学生とほとんど変わらないということを、理解していない。
治療の内容にも疑問がいくつもありました。
これは、NHK取材班のせいではないけど。
まず、放医研に骨髄移植をできる医療体制がないというのは、相当に問題があると思います。
移植ができなければ、放医研とは一体何をするところなの? という疑問が沸きます。
はい、もちろん、放医研には放医研の仕事が山ほどあって、スタッフの皆さんは忙しく働いていることは知っています。
だけど、こういった放射線被曝の患者さんが担ぎ込まれた時に、無力であるというのは、どういうことなんでしょうか?
そして東大病院の治療にも、ものすごく疑問があります。
患者さんは「おれはモルモットじゃない」と発言していますが、この時点で、患者と医師の間には信頼関係は皆無だったと言えるでしょう。
患者さんはくり返し、大腸内視鏡の検査を受けていますが、これはかなり、まずい。
穿孔すれば即死です。
なぜ、そんな危険を冒したのか?
データを集めたかったのではと非難されても仕方ないでしょう。
ぼくが主治医だったら100%、こんな検査はしません。
その一方で、心停止の後の再三の蘇生。
これが患者の側に立つ医療とは全然思えません。
余りにも悲しい闘病記と言えるでしょう。
この患者さんは、最後に「司法解剖」されます。
実は、このことが、患者さんにとって最大の悲劇なのですが、悲しいかな、NHK取材班はそのことに気付いていません。
「解剖」という行為は、人間の体の中のすべてを晒す、究極のプライバシーの露出です。
したがって、医師と患者家族の間に絆のように強固な信頼関係が無いと成立しません。
ところが「司法解剖」はそんなことお構いなしに、検査官などの立ち会いで強制的に行われます。
ぼくはそんな患者さんが本当に可哀相だと思います。
結局この本は、国の原子力政策を(間接的にでも)批判する構成になっていません。
では何を訴えたかったのか、それは読了しても読み取ることができませんでした。
1999年に起きた「東海村臨界事故」で被曝した職員の闘病を描いたルポです。
この本は、放射線事故がどれほど恐ろしいかを描いた貴重な記録と言えます。
だけど、はっきり書きますが、この本はまったく評価できません。
最もよくない点は、本書のテーマがどこにあるか分からないことです。
本のエピローグには、看護師たちの、生存の見込みの無い患者にどこまで治療を行うかという命と死に関する考えが述べられています。
こういったことは、救急医療を語る時に、これまでさんざん議論され、また、活字になってきたことです。
東海村臨界事故とは、何の関係もありません。
本をこういう締めくくりにしてしまったことだけで、この本は完全に失敗作になっています。
また、途中、医師免許をとって3カ月の研修医のインタビューが出てきます。
このドクターは、今は立派になっているかもしれませんが、3カ月の研修医の視点などは、あまりに軽すぎる(この人が軽いと言っている訳ではない)。
何百人、何千人の生と死を見た医師になぜインタビューしないのか、ぼくには理解できない。
取材班の意図は、なんとなく想像できるけど、3カ月の研修医というのは、その辺の医学生とほとんど変わらないということを、理解していない。
治療の内容にも疑問がいくつもありました。
これは、NHK取材班のせいではないけど。
まず、放医研に骨髄移植をできる医療体制がないというのは、相当に問題があると思います。
移植ができなければ、放医研とは一体何をするところなの? という疑問が沸きます。
はい、もちろん、放医研には放医研の仕事が山ほどあって、スタッフの皆さんは忙しく働いていることは知っています。
だけど、こういった放射線被曝の患者さんが担ぎ込まれた時に、無力であるというのは、どういうことなんでしょうか?
そして東大病院の治療にも、ものすごく疑問があります。
患者さんは「おれはモルモットじゃない」と発言していますが、この時点で、患者と医師の間には信頼関係は皆無だったと言えるでしょう。
患者さんはくり返し、大腸内視鏡の検査を受けていますが、これはかなり、まずい。
穿孔すれば即死です。
なぜ、そんな危険を冒したのか?
データを集めたかったのではと非難されても仕方ないでしょう。
ぼくが主治医だったら100%、こんな検査はしません。
その一方で、心停止の後の再三の蘇生。
これが患者の側に立つ医療とは全然思えません。
余りにも悲しい闘病記と言えるでしょう。
この患者さんは、最後に「司法解剖」されます。
実は、このことが、患者さんにとって最大の悲劇なのですが、悲しいかな、NHK取材班はそのことに気付いていません。
「解剖」という行為は、人間の体の中のすべてを晒す、究極のプライバシーの露出です。
したがって、医師と患者家族の間に絆のように強固な信頼関係が無いと成立しません。
ところが「司法解剖」はそんなことお構いなしに、検査官などの立ち会いで強制的に行われます。
ぼくはそんな患者さんが本当に可哀相だと思います。
結局この本は、国の原子力政策を(間接的にでも)批判する構成になっていません。
では何を訴えたかったのか、それは読了しても読み取ることができませんでした。
あなたは政治家として最低 ― 2011年07月08日 20時03分52秒
虎の尾を踏み続ける菅総理大臣は、すべての政治家・官僚・財界・マスコミを敵に回してしまっています。
今度は原発のストレステストですか。
これはすばらしいことですが、こういう事をやればやる程、菅さんは孤立していきます。
だけど上司の命令に従わない民主党の家来たちって一体何だ?
菅総理よりも偉くなってしまった「国会対策委員長」の安住淳さんは、政治家として最低というよりも、人間として救いがないと言うべきでしょう。
ぼくもかつてはサラリーマンでした。
大学病院の医局という制度の中でね。
上の人間が「白」と言えば「白」だし、「黒」と言えば「黒」だった。
どんなに理不尽で無意味で横暴で不条理な命令でも、ぼくは全部従ったものです。
上司と部下の関係ですからね。
世の中の男たちは、みんなそうやって生きているんだと思います。
自分の努力がチャラになったと言って、上司の悪口を公言する人間を、ぼくは信用することができません。
巷では、広島・長崎の原爆の日に、菅さんが「反原発」を掲げて衆議院を解散するという噂が流れています。
ま、菅さんにそんな度胸はないと思いますが、やったらいいじゃないですか? 原発選挙。
今後100年の国のあり方を、国民一人ひとりが考えれば良いと思います。
さて、今日は、夏風邪が癒えて1週間ぶり自転車に乗りました。
体が軽い!
軽く流すつもりでしたが、あっという間に7Km走りました。
今度は原発のストレステストですか。
これはすばらしいことですが、こういう事をやればやる程、菅さんは孤立していきます。
だけど上司の命令に従わない民主党の家来たちって一体何だ?
菅総理よりも偉くなってしまった「国会対策委員長」の安住淳さんは、政治家として最低というよりも、人間として救いがないと言うべきでしょう。
ぼくもかつてはサラリーマンでした。
大学病院の医局という制度の中でね。
上の人間が「白」と言えば「白」だし、「黒」と言えば「黒」だった。
どんなに理不尽で無意味で横暴で不条理な命令でも、ぼくは全部従ったものです。
上司と部下の関係ですからね。
世の中の男たちは、みんなそうやって生きているんだと思います。
自分の努力がチャラになったと言って、上司の悪口を公言する人間を、ぼくは信用することができません。
巷では、広島・長崎の原爆の日に、菅さんが「反原発」を掲げて衆議院を解散するという噂が流れています。
ま、菅さんにそんな度胸はないと思いますが、やったらいいじゃないですか? 原発選挙。
今後100年の国のあり方を、国民一人ひとりが考えれば良いと思います。
さて、今日は、夏風邪が癒えて1週間ぶり自転車に乗りました。
体が軽い!
軽く流すつもりでしたが、あっという間に7Km走りました。
「我が家の問題」奥田英朗 (集英社) ― 2011年07月09日 22時49分56秒
奥田英朗さんは、ぼくが最も好きな作家の一人です。
「純文学」ではないが「低俗」ではない文学を、「中間小説」と言ったりします。
人によっては、エンターテインメント小説とか大衆文学とか。
ま、言葉による定義はどうでもいいのですが、単純に「面白い」小説ということで評価すれば、ぼくは奥田さんが日本で一番面白い小説家だと思っています。
なぜ面白いのでしょう?
一つの理由は、奥田さんがへそ曲がりの天の邪鬼だからです。
そういう斜めにものを見る視点が実に面白い。
そして人間の心の機微を知り抜いているということ。
たぶんこれは人を観察しているからでしょう。
特に、女性心理をなぜここまで、人を納得させるように書けるのか、本当に不思議です。
最後に言えば、文章がうまい。
奥田さんは意識して、文章から「主語」を抜いていると思います。
日本語を欧米の言語と比べると、主語を必要としない構文構造に最大の特徴があります。
逆に言えば、主語の多い日本語は読みにくいのです。
奥田さんはかなりその辺を意識しているとぼくは思います。
だからテンポがよく、読みやすい。
ぼくもけっこう真似をしています、奥田さんの文章。
さて、今回の短編集も、めっちゃ面白かった。
深夜の布団の中で、つい、吹き出してしまったことも。
だけどそれだけではなく、最後の作品、「妻とマラソン」は思わず涙腺が緩んでしまった。
この人はね、こういう作品もうまいんです。
笑って泣いて、うんうんと納得して、あっと言う間の読書でした。
傑作です!
「純文学」ではないが「低俗」ではない文学を、「中間小説」と言ったりします。
人によっては、エンターテインメント小説とか大衆文学とか。
ま、言葉による定義はどうでもいいのですが、単純に「面白い」小説ということで評価すれば、ぼくは奥田さんが日本で一番面白い小説家だと思っています。
なぜ面白いのでしょう?
一つの理由は、奥田さんがへそ曲がりの天の邪鬼だからです。
そういう斜めにものを見る視点が実に面白い。
そして人間の心の機微を知り抜いているということ。
たぶんこれは人を観察しているからでしょう。
特に、女性心理をなぜここまで、人を納得させるように書けるのか、本当に不思議です。
最後に言えば、文章がうまい。
奥田さんは意識して、文章から「主語」を抜いていると思います。
日本語を欧米の言語と比べると、主語を必要としない構文構造に最大の特徴があります。
逆に言えば、主語の多い日本語は読みにくいのです。
奥田さんはかなりその辺を意識しているとぼくは思います。
だからテンポがよく、読みやすい。
ぼくもけっこう真似をしています、奥田さんの文章。
さて、今回の短編集も、めっちゃ面白かった。
深夜の布団の中で、つい、吹き出してしまったことも。
だけどそれだけではなく、最後の作品、「妻とマラソン」は思わず涙腺が緩んでしまった。
この人はね、こういう作品もうまいんです。
笑って泣いて、うんうんと納得して、あっと言う間の読書でした。
傑作です!
「ふたつの嘘 沖縄密約 1972-2010」諸永 裕司 (講談社) ― 2011年07月10日 22時16分38秒
感想を書くのが難しい作品です。
屁理屈を言わせてもらえば、ノンフィクションという文学は「視点」と「語り口」と「時系列」で出来ていると、ぼくは個人的には思っています。
大変傲慢な言い方をさせて頂くと、そういう整理が不十分なように感じます。
だけど、それはわざとかもしれないし、こういう形式を著者が選んだということなんでしょうね。
ただ、どうしても、取材した素材を消化しきれていないという印象が残ります。
本多勝一さんが取材に来たとか、山崎豊子さんが電話をかけてきたとか、その後どうなるの? と思って読み進めると、それでおしまい。
こういうエピソードは、本のテーマと関係ないので、すべて丸ごとカットした方がいいなと思います。
一部と二部のあまりの内容の違いに、では、著者は何を表現したかったのかと、読了してもよく分かりませんでした。
ノンフィクションの面白さは、みんなが知らないことを知らしめるという部分がかなりあると思います。
だけど、沖縄密約はどうでしょうか?
新聞報道やテレビの特集番組などで、裁判の結果を知らない人はほとんどいないと思います。
そういう意味では、ノンフィクションの素材としては、とても難しかったと思います。
誰も知らない(重要な)事実を知らしめる、もしくは、人間の心の奥の奥までを追求する、こういうことが、ノンフィクションの真髄なのかなと。
ま、ちょっと「上から目線」で放言してしまいましたが、読者というのは、こういう風に欲深いものです。
追記)ぼくの感想は上記の通りですが、Amazonのレビューを見ると、本書は大変評価が高いようです。
屁理屈を言わせてもらえば、ノンフィクションという文学は「視点」と「語り口」と「時系列」で出来ていると、ぼくは個人的には思っています。
大変傲慢な言い方をさせて頂くと、そういう整理が不十分なように感じます。
だけど、それはわざとかもしれないし、こういう形式を著者が選んだということなんでしょうね。
ただ、どうしても、取材した素材を消化しきれていないという印象が残ります。
本多勝一さんが取材に来たとか、山崎豊子さんが電話をかけてきたとか、その後どうなるの? と思って読み進めると、それでおしまい。
こういうエピソードは、本のテーマと関係ないので、すべて丸ごとカットした方がいいなと思います。
一部と二部のあまりの内容の違いに、では、著者は何を表現したかったのかと、読了してもよく分かりませんでした。
ノンフィクションの面白さは、みんなが知らないことを知らしめるという部分がかなりあると思います。
だけど、沖縄密約はどうでしょうか?
新聞報道やテレビの特集番組などで、裁判の結果を知らない人はほとんどいないと思います。
そういう意味では、ノンフィクションの素材としては、とても難しかったと思います。
誰も知らない(重要な)事実を知らしめる、もしくは、人間の心の奥の奥までを追求する、こういうことが、ノンフィクションの真髄なのかなと。
ま、ちょっと「上から目線」で放言してしまいましたが、読者というのは、こういう風に欲深いものです。
追記)ぼくの感想は上記の通りですが、Amazonのレビューを見ると、本書は大変評価が高いようです。
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