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日展に行く2010年12月01日 17時31分10秒

西出茂弘 「道」
東京の乃木坂まで、出かけてきました。
日展を観に行くためです。

毎回注目するのは「日本画」ですが、今回は西出茂弘さんの「道」という作品が素晴らしかった。

見た瞬間に、道を覆う枯れ葉の黄金色が視覚をするどく刺激するんです。
同時にゆったりとした優しさもあって、僕にとって、ベスト・ワンでした。

今回は割りと「彫刻」にも時間をかけて鑑賞しました。
しかしこれが分かるようで、分からない。
人になぜ「彫る」という情熱があるのか僕にはよく分からないのです。
彫刻の素材は様々で、案内のお姉さんに聞いたら、今は「樹脂」が多いのだそうです。
「木」もあり、「石」もあり、意外に楽しめました。

さて「書」ですが、これは僕にはけっこう「善し悪し」が分かります。
「書」の美しさは、これはもう本当に「日本の美」という感じ。
僕は長い文字よりも、数文字の短い作品が好きです。
じっくりと堪能させてもらいました。

黒澤明「まあだだよ」を観る2010年12月02日 20時47分30秒

まあだだよ
黒澤明監督の遺作です。
これが実に素晴らしい作品に仕上がっています。

「用心棒」や「天国と地獄」みたいな痛快感・爽快感はありません。
「生きる」みたいな感動や、「七人の侍」のような大活劇はありません。

しかし黒澤映画とは何か?
それはやはり「峠の風」なんです。

内田百けん先生を師と仰ぐ、弟子たちの姿を描いた映画。
この映画は主人公が別に内田先生でなくても良かったのだと思います。
いや、あの内田先生は黒澤監督自身の姿だったのでしょう。

弟子に扮する所ジョージさん。
彼が実に良い味を出しているんです。
大ファンになりました。

自分の人生の恩人を大事にする、何て素晴らしいことでしょうか?
人生を深く味わった人ならば必ずこう言います。
「黒澤監督のまあだだよ? あれは生涯最後の最高傑作だ!」

歳を取ると涙腺が緩んで2010年12月03日 23時03分13秒

黒澤明監督の「まあだだよ」は師弟愛を描いた映画ですが、実はそれだけではありません。

内田先生を支える奥さんの姿が美しく描かれています。
演じるのは香川京子さん。
役者として本当に上手なだけでなく、実に美しい女性です。
香川さんの演技に関して黒澤監督はまったく注文を付けず、すべてお任せだったそうです。

内田先生がお猪口で日本酒を飲むと、そっとすぐに酒を注ぎ足す。
その仕草がきれいなんです。
男尊女卑と言われてしまうかもしれませんが、夫に奉仕する奥さんの姿が心を揺さぶります。

そして中盤の大きなテーマが、野良猫のノラがいなくなってしまい、内田先生が悲嘆にくれるシーンです。
この場面はけっこう長く続きます。
人によっては、なぜ、猫ごときにここまで内田先生は泣くのだと思うでしょう。
しかしあの猫は、内田先生にとっては自分の子どもなんです。

自分の子どもがある日突然消えてしまったら、どれだけ悲しいですか?
あの場面はそれを描いているんです。

歳を取ると感受性が鈍る部分と逆に敏感になる部分があります。
ノラがいなくなって食事も喉を通らなくなった内田先生を観ていたら、僕はもう涙腺が緩んで、画面が滲みっぱなしでした。

この映画にはほかにも印象的な点が多々あります。
たとえば、内田先生を師と仰ぐ中心人物の四人の中に寺尾 聰さんがいますが、彼は劇中に台詞がないんです。
ただし、ナレーションを務めている。
表情だけで演技する寺尾さんも本当に良い味を出しています。

またこの映画にはほとんどBGMがありません。
ただし効果的に使われているのが、ヴィヴァルディの「調和の霊感」第9番の第2楽章。
これがいい。

幻想的な雲の夢のエンディングといい、この映画は無駄なカットが一切無く、映画として最高水準にあると思います。
黒澤監督が83歳の時に、自分で脚本を書き、メガホンをとったのですから、これはもう本当に黒澤明は天才としか言いようがありません。

こんな素晴らしい映画が興行としては失敗。
全然ヒットしなかったそうです。

でもね、売れるか売れないかなんて関係無いんです。
本当に大事なことは何なのかを理解している人が評価してくれれば、作品には永遠の命が吹き込まれるんです。

内田先生が映画の中で子ども達に語りかけるでしょ?
「本当に好きなことを見つけてください。そしてそのことを大事にして一生懸命、努力してください」と。

あれは、黒澤監督の次世代への遺言です。
こういう素晴らしい映画を観ないと、人生、損をすると思います。

kotoba 1月号2010年12月06日 21時43分24秒

kotoba
kotoba第2号が手元に届きました。
今回のテーマは「脱成長の経済を考える」。

うーん、そうきましたか。
興味はあるけど、ちょっと難しそう。

毎日新聞の藤原章生君も寄稿しています。

g2 第6号(講談社)2010年12月07日 13時20分58秒

g2 Vol.6
g2が手元に到着しました。
今回も面白そうな記事が満載なので、興味のある作品から順番に読んでいきましょう。

なになに・・・
『東京・渋谷区発「セレブ妻バラバラ殺人事件」
三橋歌織受刑者(35歳)の殺意』

え、実はちっともセレブではない、、そうなんだ。
この犯人の女性、、、精神に異常があったのでは?
こういう人を牢屋に入れてもどうなんでしょう。
精神科の治療の方が大事なような気がします。

しばらくこの1冊で楽しめそうです。

歳とって涙腺が緩む・その2「トイレの神様」2010年12月07日 19時52分07秒

歳を取るともう本当に涙腺が緩みっぱなしで、これって感情崩壊の痴呆の始まりでしょうか?

有名な曲ですが、
「トイレの神様/植村花菜」
を聞いていたら、もうダメ・・・。

http://www.youtube.com/watch?v=Z2VoEN1iooE&feature=related

紅白歌合戦にも出場するんですよね?
ノーカットで最後まで歌ってくださいね。

「ガキ」と呼ばれた医者2010年12月08日 10時52分55秒

僕が研修医のとき、厳しかったのは先輩の医者だけではありませんでした。
看護師も厳しかったし、レントゲン技師も厳しかった。
研修医はイヌかネコみたいな扱いでした。

僕はそんな研修医時代に、患者さんの面前で看護師から「ガキ」呼ばわりされたことがあります。

この患者は、千葉大の小児外科が総力を結集して治した小児がんのお子さんで、私たちにとって骨髄移植の第一号でした。

移植のとき、医療スタッフが10人くらいで移植ルームへ向かい、先輩の命令で、僕が無菌室の中に入って移植(骨髄液の注射)をすることになりました。
無菌室の中に入るためには、オペ室で自分の手を消毒するように、消毒液で手洗いをして無菌のガウンを着る必要があります。

僕は無菌室のすぐ手前の手洗い場所で、みんなが見ている中、いつものように手洗いを始めました。
ブラシを使ってイソジンでがんがん手を洗っていきますから、床や壁に水しぶきが飛びます。

するとそれを見ていた看護師の副婦長が、
「先生、ガキンチョの手洗いんじゃないんだから、もうちょっときれいにやって!」
と大きな金切り声を上げました。

僕は屈辱で顔が熱くなりましたが、黙って作業を続け、無菌室に入って、移植を始めました。
最初は、「移植ってどんな感じでやるの?」と興味津々だった先輩たちも、「なーんだ、ただの注射じゃん」と分かり、途中で全員いなくなり、部屋には、僕と子どもとそのママだけになりました。

「ガキ」と呼ばれたことにママはとても同情してくれて、「うん、そういうこともあるけど・・・若いうちは・・・・先生がんばってるし・・・」
などといろいろと励ましの言葉を頂きました。

その後、この親子とは大学病院で19年間付き合いましたが、なぜか、親子共に僕を信頼してくれて、いろいろと話すことが多かった。

「ガキ」も、もう今はすっかり「ジジイ」です。

老人はさっさと引退しよう!2010年12月09日 21時18分20秒

ノーベル化学賞を受賞した北海道大学の鈴木さんが「僕は63歳で北大を定年退職した。少なくとも68歳、できれば70歳まで研究を続けられたらもう少し仕事ができた。菅直人首相に会ったとき、それを伝えるのを忘れた」と述べたそうです。

勝てば官軍で、ノーベル賞を受賞したら言いたい放題ですね。

千葉大学の定年は65歳ですが、これは絶対、長すぎると思います。
60歳くらいでさっさと辞めて、第二の人生を探すべきだと思います。

理由は2つあって、1つは65歳という高齢で、教授という知的アクティビティーが要求される仕事は務まらないという点。
もう1つは、65歳で辞めた教授のほとんど再就職先を見つけて働いている現実です。
もう1回働くのならば、せめて60歳くらいが適当ではないでしょうか?

こういう話を書くと、すぐに、僕が千葉大の悪口を書いていると批判する人がいます。
勘違いもほどほどにして欲しいですね。
僕は愛校心で言っているのであり、これは陰口でも悪口でもありません。
こういった話は、現在の千葉大医学部の副医学部長の教授にも直接何度も話したことがあります。

とても良い提案だと思いますが、誰か実行に移さないですかね?

ちなみに僕の恩師の高橋教授は「こんな馬鹿くさい教授なんて仕事を、65までやってられるか!」と医局員の前で何度も言っていました。
さぞ、教授職とはつまらないものなのでしょうね。
しかし教授を辞めたのはやはり65歳でした。
いろいろとお考えになったのでしょう。

僕も可能な限り仕事を早く辞めて、年金で細々と暮らしながら、貯めた貯金で「国内」を妻と一緒に色々なところへ旅行に行きたいものです。
引退こそ、我が夢なり。

ノーベル賞授賞式2010年12月10日 12時37分02秒

本日、12月10日はノーベル賞の授賞式です。
それは今日がノーベルの命日だからです。

亡くなった人がいれば生まれた人もいる。

はい、今日は僕の誕生日です。
まだ50歳にはなっていません。

しかし
視力の衰えは本当にひどく、これは50歳なみ。
創造力の衰えは60歳なみでしょう。

人生はもうとっくに折り返したので、後半のさらに後半をどう生きていくか。
家族と一緒に歩きながら考えましょう。

旧友と河豚2010年12月11日 22時08分27秒

11月の大混雑に比べれば、ほんのわずかですが、クリニックは空いてきたような気がします。

これまでの疲れがたまっていたのか、今日は夕方に帰宅すると1時間以上も眠ってしまいました。

その後は、旧友と毎年恒例の忘年会。
体調が悪くてまったく食欲が無かったのですが、たっぷりと河豚を食べてしまいました。

特に白子の「焼き」と「シャブシャブ」は極上でした。

明日は今日の分も含めて、たっぷり子どもと遊ぼう。