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小学6年生にインタビューを受ける2010年07月24日 16時31分26秒

先日は独協医大の高名な先生にインタビューを受けましたが、今日はなんと小学6年生にインタビューされました。

東京に住むA子ちゃんは、自分の母親が何度か手術を受けた経験があったので、医療に興味を持ったそうです。
そして手にした本が、「命のカレンダー」と「命のダイアリー」。

この夏、夏休みの自由研究の課題を「医師」として、僕にインタビューを申し込んできました。

診療が終わったクリニックに来てもらい、A子ちゃんと僕は院長室へ。
ご両親は隣りの処置室のソファで待機です。

A子ちゃんは、事前に大学ノートに質問事項をずらりと並べ、僕の生い立ちから、医師を目指した動機、小児外科医の「かけだし」の頃、そして現在に至るまでの詳細を聞き取っていきます。
もちろん、本を書いた動機や訴えたかったことも。
そして最後には、「命」とは何かとか、「寿命」とは何かという質問になりました。

終わってみれば2時間が経過。
その中味の濃さにびっくり。
僕はみっちりと半生を振り返ることになりました。

しかし、まあ、この子は将来が楽しみ。
医者になるのか、ジャーナリストになるのか、それは本人が決めることですが、(良い意味での)著名人になるかもしれませんね。
最後に、好奇心一杯でクリニックを見学していきました。

どんな自由研究の仕上げになるか、とても楽しみです。
こういう子どもの才能を、周りの大人たちが一生懸命応援して伸ばしていきたいものですね。

「実践・世界言語紀行」梅棹忠夫(岩波新書)2010年07月25日 13時40分36秒

こういう本を読むと、インテリというのはどういうものを指すのかがよく分かりますね。
僕たち医者とは全然違います。
医者っていうのは、エンジニアであり、特に外科医は職人さんです。
僕は、手術は頭でするものだと思っていますが、ま、そういうことを言う外科医はほとんどいないでしょう。

世界は広い。
言語は世界に3000。
人種とか民族とか文化とか国境とか国家とは何かということまで、自然と考えてしまいます。

世界の言語の中で、日本語は簡単な言語だという指摘は説得力がありました。

「英語」=「国際語」みたいに思っている日本人ってすごく多いと思いますが、それがいかに馬鹿馬鹿しい発想か、この本を読めば分かります。
まあ、そういう風に思っている人は、この本を読まないか。

この本は、梅棹さんが両眼失明してから書かれた作品です。
もちろん、口述筆記ですが、資料などは読めない状態で本を作った訳ですから、その知力には驚くばかり。

世の中にはすごい人がいると本当に思い知らされます。
医者はやっぱり世界がちょっと狭すぎますね。

眠れない夜2010年07月26日 19時42分14秒

僕の不眠症は筋金入りで、初めて睡眠薬を飲んだのはたしか中学2年。

夏休みの夜に読書をすると、昼夜が逆転してしまうこともありました。
ですから、医者になって、「寝ずの番」で患者さんを診ていても、ま、2〜3時間眠れば十分という感じでした。
(こういう状態がひと月以上、続くという意)

大学病院を退職して一番変わったことは、睡眠時間でしょう。
寝入るのは相変わらず遅いのですが、朝の目覚めは1時間くらい後になりました。

さて、その不眠ですが、これはもう本当にどうにもならない。
眠気というものをほとんど感じ取ることができない。
だから僕にとって「眠る」というのは、ものすごくエネルギーを使うんです。
必死になって眠るという具合でしょうか?

ところが昨日は、なんと11時くらいに眠くなりました。
これはチャンス!と思って、11時30分にハルシオンを飲んで、12時頃には眠ったようです。

不思議なことは今日も続き、なんと、朝起きたら眠くて眠くてしかたありません。
クリニックに到着しても眠かった。
これって一体何なんでしょうか?

まあ、次から次に、僕の体に色々な変化が起こります。
老化現象か?
それとも、男の更年期障害?

今日の夜は果たしてあっさり眠れるのか?
今からそれを思うと、眠れなくなりそうです。

大江健三郎を捨てる2010年07月27日 20時12分35秒

芽むしり 仔撃ち
高校生の時に、近代文学鑑賞クラブに入って、ひと通りの近代文学をかなり読みました。
夏目漱石とか三島由紀夫とか。
梅崎春生とか田宮虎彦とか。

しかしそういった本は全部捨ててしまいました。
本を収容できるスペースを持っていなかったからです。

それでもどうしても捨てられない本があって、それは大江健三郎の小説です。

現在僕は自分の書斎を有するようになりましたが、その書斎には壁一面に本が並んでします。
これまで、本棚の奥の奥にしまってあった大江健三郎も、晴れて表舞台に出てきた訳です。

「命のカレンダー」と「命のダイアリー」を書いた時、多くの作家の影響を受けているなと自分で思いました。
文法とか構文は、本多勝一。
ドラマ性は、柳田邦男。
叙述は、梁石日(ヤン・ソギル)。
強調は、楳図かずお。

ま、そんな具合です。

しかし僕がこれまで50年近く生きてきて、「物語る」ということに最も影響を受けたのは、やはり大江健三郎です。

短編「死者の奢り」の最初の一行を読んでみてください。

・・・・・
死者たちは、濃褐色の液に浸って、腕を絡みあい、頭をおしつけあって、ぎっしり浮かび、また半ば沈みかかっている。
・・・・・

こういう文章はやはり普通の人間には書けないと思うのです。
そういう思い入れがあって、文庫本を30年以上も保存していました。
そして昨夜それらを手にすると、、、
カビが生えてしまっている。

これはもう捨てるしかないと思います。
本はいくらでもAmazonで買うことができる。
絶版になることは永遠にないでしょう。
本を集める趣味はないので、手元になくてもいいのではと思います。
だいたいからして、僕が死んだら僕の蔵書なんて、全部ゴミですからね。

どれ、「芽むしり 仔撃ち」でも買おうかな。

「モゴール族探検記」(岩波新書)梅棹忠夫2010年07月28日 19時46分12秒

梅棹さんに対する追悼の意味も込めて読みました。

今から50年以上も前に書かれた本なのに、いや、だからこそ? とにかく面白い。
活動するインテリというのは本当にカッコいいですね。
インディー・ジョーンズみたいです。

この本の面白さは、梅棹さんの文章の力にあると思います。
単純に言ってしまえば、本当に文章がうまい。
ノンフィクションの一つのあるべき姿ですが、真似できるかというとちょっと難しい。

本多勝一さんは、梅棹さんをお師匠にしていたらしいですが、確かに、本多さんの文章にその影響があるように思えます。
そうすると、うんと遠いところで、僕も影響を受けているということでしょうか?

時を越えて読み継がれる本というのはとても良いですね。
お気に入りの1冊になりました。

インフルエンザ予防接種20102010年07月29日 19時31分51秒

夏休みが終わると、インフルエンザの予防接種の準備をしなくてはなりません。

今シーズンは、「新型」と「季節型」が両方一緒になった「混合」ワクチンです。
接種の開始は10月の上旬。
つまりこのあたりは、従来と同じです。
ワクチンは豊富にありますから、昨シーズンのような「優先順位」などはありません。

普通に接種してください。

ただ、例年と違う点が一つだけ。

それは値段です。
従来はインフルエンザの予防接種は各クリニックが自由に値段を決めていましたが、今年は各市町村が決める可能性が高い。
すると、「激安」のクリニックはなくなります。

さらにもう一点。
情報としては患者さんには関係が無いようで、実は関係あることは、ワクチンの接種量。
これが増量されるかもしれません。
ま、これは専門的な話なので、詳細は触れません。

いずれにしてもどこのクリニックでも間違いなく接種できますから、慌てないでください。
僕のクリニックでうちたい人は、時々、このブログかホームページをチェックしてください。

水木しげるの本を2冊2010年07月30日 20時28分20秒

水木しげるの本を2冊読みました。
「ゲゲゲの女房」でみなさんご存知かもしれませんが、水木さんは戦争で左手を失っています。
妖怪もので有名な水木さんですが、戦記も漫画や文章で描いているんです。

今回の本を読むと、軍隊では古兵が新兵を意味もなく日常的に殴るということがよく分かります。
単なる憂さ晴らしのように、犬や猫をいたぶるように殴る。
我が祖国の皇軍の実態はこういうものだったようですね。

年配の方々は、すぐに「今の若いものは」みたいな言い方をしますが、あの年代の人たちの道徳っていったいどうなっていたのでしょうか?

意味もなく人を殴ると言えば、僕の母校にもそういう教師がいました。
足立区立第十四中という中学校ですが、名前はもう忘れてしまった。
だけどあだ名は「カマス」だったな。

朝礼の時に壇上に立って、私語をしている生徒を前に呼び出してビンタをしたり、壇上から頭を踏みつけたり。

僕も一回、卒業間際に因縁をつけられて殴られたことがあります。
友達3人とただ廊下を歩いていただけなのに、向こうから走ってきて全員が殴られた。
理由はなし。
あまりの屈辱に担任の先生に相談することもできなかった。

今にして思うと、この教師は心を病んでいたのだと思います。
精神病だった可能性も否定できません。
朝礼台の上で、全校生徒の衆目の中でビンタを張るような男ですからね。
それも毎週のように。
他の教師は見て見ぬ振りをしていたのかな?

しかし恐ろしい学校でした。
悪夢のような思い出です。

あれからもう30年以上が経っていますから、もうこの男は僕の母校にはいないと思います。
在校生は安心してくださいね。