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「命のカレンダー」を語る その92009年09月12日 22時46分15秒

久しぶりに自著を語りましょう。
第9章は、勇星君の物語りです。

勇星君は多くの苦難を乗り越えて、最終的に命を得ますが、実はこの9章も最初はまるごと存在していませんでした。

僕の最初の原稿は、失った子どもたちの物語りで出来ていました。
そういった物語りを描くことで、「生」というものがよりはっきりと表現できると考えた訳です。

しかしそれでは「あまりに悲しい」という結論になり、僕が大学で最後に診た子を描くことにしたのです。

勇星君は命は得るものの、かなり大掛かりな手術で体の機能の一部を失います。
僕はこういった手術を行うことに物凄い躊躇がありました。
それは10年前にも同じような手術を経験していたからです。

僕が10年前に執刀した手術。
あれは、10歳の男の子に対する前立腺のがんの摘出でした。
前立腺と膀胱をすべて摘出し、小腸の一部を切り出して、これを人工膀胱にし、左右の尿管をここに縫い付けました。
腸で作った人工膀胱はお腹に開通させましたから、おしっこは、お腹に取付けた袋にたまる形になります。
手術時間は12時間くらいだったでしょうか?

僕はまだ若かったので、馬力に任せて手術に挑み、手術が終わった後には、達成感さえ憶えました。
しかしその子は結局肺に転移して再発。
命を助けることができませんでした。

この記憶はその後、徐々に僕を苦しめました。
そこまで激しい手術を本当にしなければいけなかったのか?
子どもの体を傷つけたのではないか?

その子やご両親から恨みがましいことは、つゆほども言われませんでしたが、重い気持ちは年々増していったように思えます。

ですから、勇星君のことは、これからもずっと責任をもって僕が診ていかなくてはならないと思います。
いや、責任をもって、ではないな。
僕にできることは限られている。
勇星君のご家族のことを一番よく知っている僕が、この後もずっと、相談に乗ってあげるということでしょう。

「命のカレンダー」はこの後、10章、そしてエピローグにつながっていきます。
10章では、「闘いの終わりと再生」が描かれます。
そしてエピローグでは、「死のその向こう側」が描かれます。

この辺の構成はとてもよく出来ていると思います。
これは自画自賛ではなくて、講談社の編集担当さんの実力です。

「命のカレンダー」を読んでくださった読者の皆さんには本当に感謝申し上げます。
子どもたちの闘いは、過去も現在もそして未来も続いて行きます。