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「死」は存在しない2006年05月26日 21時13分42秒

今日はお昼にお客様がありました。僕のホームページの「小児がんに挑む」に出て来るりかちゃんのママです。りかちゃんママとは、りかちゃんの闘病中に延々といろいろな話しをしましたが、闘病が終わった今も、不思議な事に話すことが山ほどあります。で、今日はちょっと硬い話しを。
小児医療を志す先生たちの動機は様々ですが、そのうちのひとつに「人間の死を見たくない」というのがあります。たしかに、子どもの医療の世界で「死」に面する事は非常にまれです。成人の医療をやっていれば、大人の医療は常に「寿命」と切り離せないし、一般外科医の対象疾患はほとんどが癌ですから、「死」は日常と言っても過言ではありません。でも、子どもは違うんですね。基本的に子どもは命を失うことはありません。しかし、例外があります。小児がんの世界です。僕の仲間の小児外科医でも、小児がんだけは専門にしたくないという先生が何人もいます。そうです、たしかにそれくらい、子どもの「死」とは強烈なものなのです。
そういった場面に直面すると、これまでの人生観が根底からひっくり返されるくらいの衝撃を受けます。僕は小児がんを専門として、これまでさんざん、「その場」に立ち会ってきました。
小児がんのお子さんの治療が行き詰まりになり、最期の時が近づくと、僕は必ず、ママやパパに「死」というものは存在しないということを説明します。もちろん、「死」という単語は絶対に使いませんが。ここで、僕の言わんとする事を表現するのはかなり困難です。ママやパパを前にして何十時間も話して分かってもらう内容ですから。肉体が滅んでも魂は生延びる、、、なんて単純な話しではもちろん、ありません。
大胆に言えば、子どもが居なくなって、その子と会話ができず、体に触れる事もできなくなり、、、でも、その子は家族とともにいるんです。子どもを失った瞬間から、その子を含めた家族全員が、やはり今までと同じように生きて行くんです。「死」という何かの「終わり」なんて存在しないんです。つまり、その瞬間から未来永劫、その子は生き続けるんです。
小児がんという1万人に1人のまれな病気を専門とする医者なんて、社会的にはあまり「価値」がないかもしれません。でも、誰かがやらなければいけないんですね。もっとも僕は義務感でやって来た訳ではありません。最初から、そこにそういう道があったんです。
今日はちょっと、話しがオカルト的だったでしょうか。でも、こういうブログを読んで、小児がんと闘っているご家族が、1万人に1人、いるということを多くの人に知ってもらいたいです。だって、小児がんの最大の敵は「無知」ですから。

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